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2020.3.5 更新

キャッシュレス決済の効用~非計画購買促進の視点から~

山﨑 泰弘
公益財団法人流通経済研究所 常務理事

はじめに

 経済産業省が 2018 年 4 月 11 日に公表した「キャッシュレス・ビジョン」では、キャッシュレスの推進で小売業の省力化やデータ利活用による消費の利便性向上などにつなげることを目的としており、普及が遅れている我が国のキャッシュレス決済比率を2025 年までに40%とすることを掲げている。
 本コラムでは、そうした大きなビジョンの裏側で消費者の購買にキャッシュレス決済がどのような影響を与えるのか調査データを基に考えたい。

ショッパーの買物予算制約

 消費者の購買は、店舗に来店する前から購入することを予定する計画購買と、来店してから購入を決定する非計画購買とにわけられる。日常の買い物をするスーパーやコンビニエンスストアでは、購入する商品に対する関与(※1)が低く、非計画購買の割合が高いことが、流通経済研究所で行った店頭調査から明らかになっている。このため、こうした最寄り品小売業では、店内における商品陳列やプロモーションで買い物客に刺激を与えて非計画購買を促進することが重要である。これは、インストア・マーチャンダイジングの基本となる考え方である。非計画購買を促進することは、単に消費者に無駄遣いさせることではない。気づきを与えて、買い忘れの防止、新商品などの商品評価、メニュー提案などを通じて消費者の生活を豊かにし、店舗へのロイヤルティを高めることをその先の目標とする必要がある。
 一方、多くの刺激を与えても一定以上の購買点数を超えて購買を促進することは難しい。実際、スーパーやコンビニエンスストアなど個別の業態における客単価は、店舗による差はあるものの、同条件の店舗規模や立地、客層であれば、ある程度の水準に収まるものである。
 このことから店舗で買い物するショッパーには予算の制約があり、それを基準として購買量の上限が決まっていると考えられる。しかし、実際に来店したショッパーに対して当日の買物予算を尋ねると、具体的に明確な予算を決めていた割合は2割程度にとどまった(図1)。つまり、予算制約は意識されたものではなく、無意識のうえで「このくらいがこの買い物で買う金額」という、心理上の予算制約であると考えることができる。

キャッシュレス決済による心理上の予算制約の緩和

 こうした予算制約と決済手段に関係があるのか、スーパーマーケットでの購買について決済手段別に非計画購買の比率等を分析した。すると、現金と比べてクレジットカードでの決済時に購買SKU数(※2)が多く、電子マネーでの決済時は購買SKU数が少ないことがわかった。キャッシュレス決済でも手段により傾向が違うため、キャッシュレス決済が購買に与える影響について、もう少し要素を分解して考えてみた(図2)。
 購買SKU数を来店前から買うことを決めていた計画購買のSKU数と、店内で買物中に買うことを決めた非計画購買のSKU数とに分解すると、興味深い結果となった。計画購買SKU数に対する非計画購買SKU数の割合は、電子マネーで3.50倍、現金で3.37倍、クレジットカードで3.67倍となっており、現金と比べてキャッシュレス決済の方が多い。つまり、キャッシュレス決済は店内での非計画購買を多く発生させているのではないか、ということである。
 なお、この調査は、2016年に都内のスーパーマーケットの店頭で実施したものであり、2019年10月から実施されている政府によるキャッシュレス・消費者還元事業の影響は受けていない。また、2018年より普及が進んでいるQR・バーコード決済のサービス前に実施したもので、調査店舗で利用できる電子マネーは非接触型ICカードを用いたSuicaであり、すなわち事前チャージ額内の支払いしかできず、少額決済が中心であった。
 現金決済者を基準とすると次のように考えることができる。電子マネー決済者は、事前に買うことを計画した商品が少なく購買金額も少ないと考えていたが、結果として予定していない商品を多く買ってしまった。同様にクレジットカード決済者は、事前に買うことを計画した商品が多く購買金額は多くなると考えていたうえ、予定していない商品も多く買ってしまった。つまり、現金決済よりもキャッシュレス決済は、心理上の予算制約を緩和して、追加でもう1品買ってしまったのではないだろうか。さらに、購買した商品単価は、現金決済者と比べて、電子マネー決済者もクレジットカード決済者も高いことから、商品選択時にも予算制約の緩和による効果が表れているように思われる。

 キャッシュレス社会に「反対」する理由として、「浪費しそうだから」ということを一番にあげている調査(※3)もあることから、財布に入っている「現金」を使わないことは、余分な買い物につながりやすいと消費者自身も認識しているのだろう。
 消費者としては、将来不安等の中で節約意識が高く浪費したくないだろうが、販売の立場に立つと、そうした心理状況でも非計画購買を促進し、できるだけ多く買ってもらうためにキャッシュレス決済は活用すべきであろう。ただし、非計画購買した商品について、ショッパーが「買わなければよかった」と後悔しないように、良い商品を提供しなければならないことは言うまでもない。

<注>
※1 関与:商品やブランドに対する個人の思い入れ・こだわりの程度
※2 SKU数:Stock Keeping Unitの略で、販売・在庫管理を行うときの、最小の管理単位。
※3 博報堂生活総合研究所「お金に関する生活者意識調査」(2017年12月15日公表)。

 

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